01 ゴブリンと戦闘
姿は見えないが、茂みの奥から無数の生き物の気配が漂ってくる。
拓人が今までに出会い、そして殺してきた人間とは明らかに違った。獣にもよく似た荒々しい息遣い。こんな生物が普通に存在するとは、ますます元いた世界から遠ざかっていくようだ。
「なんだ、こいつら……」
そのうちの一体が姿を現した。
人間とは似ても似つかない奇怪な様相をしている。肌は泥水に突っ込んできたような色で、体には周囲の木々に合わせてか、くすんだぼろ切れを纏っている。とがった耳の下まで勢いよく裂けた口に、剥き出しの鼻腔。そして落ち窪んだ眼窩に眼球はなく、映すことを拒絶されたかのように、きっちりと糸で縫い合わされていた。その見えないはずの空洞は拓人たちをしっかりとらえていた。
「少なくとも友達になりたいわけじゃないみたいだね」
「シキミ様は瑠花がお守りするんで、拓人さんは自力でなんとかしてくださいね。なんだったらこの怪物さんたちに殺されちゃってくれたらラッキーなんですけど」
どさくさにまぎれてひどいことを言いつつ、瑠花はシキミの前に立ちはだかる。レースやフリルがふんだんに使われた黒と白のワンピース、いわゆるゴスロリと呼ばれる服を着ている年下の幼女に守られる美少年。なんともいえない気分になってくるが当の本人たちは気にした様子もなく
「そ。じゃあ僕はゆっくり拓人でも眺めてようかな」
シキミは背にしていた木を軽々とのぼると、てっぺんに近い枝に腰かけた。
「ちっ、仕方ねえ。やるしかねえみたいだな」
怪物たちは棍棒を振り上げ、呻き声をあげながら襲いかかってくる。拓人はすぐさまベルトに挟んでいた自動式拳銃の引き金をひく。額に命中。怪物は紫色の血しぶきをあげながら倒れこんだ。この世界に拳銃というものが存在するのかは分からないが、怪物たちは怯えることなくむかってくる。残りも同様に一撃で仕留めていく。次から次へと他の奴らがやってくる。
「くそ、きりがねえ」
圧倒的な数を前に拳銃では分が悪いのは一目瞭然だった。弾は残り少ない。何の準備もなくここへ飛ばされたため予備弾も持ってきていない。だが周りを見渡しても武器になりそうなものは何もなかった。素手で戦うしかないようだ。
「このくそ野郎どもがっ」
振り上げた棍棒を避け、怪物の腹へと勢いよく拳をうちこむ。柔らかい。肌の色はともかく、感覚的には人間とあまり変わりないようだ。武器を持った相手との戦闘は慣れている。拳が通用することが分かれば対人間の暗殺と同じ。敵が勝っているのは数だけだ。
これなら何とかなるかもしれない。
そう計算し余裕ができたお蔭で周囲を見渡すことが出来た。瑠花はシキミのいる木の根元に陣取っているようだ。
目の前には数体の怪物たち。
「貴方達のような下等生物ごときに、シキミ様は指一本触らせないわ」
ガーターリングから小瓶を取り出し、中の粉末をぶちまける。毒だ。煙をあげ怪物たちの皮膚を溶かしていく。ゴムが焼けるような臭いだけが残り、後には骨ひとつない。だがそれでも怯むことなく進んでくる怪物たち。こいつらの頭にあるのは目の前の敵を殺すことだけで、恐怖なんていうものは感じないのだろうか。
「おい、シキミ! 少しはお前も手伝えよ」
木の上で優雅に見物しているシキミに声をかけるも
「僕を殺していいのは拓人だけなのに、こんな気持ち悪い奴らに殺されたらどうしてくれるの? 化けて出るよ?」
降りてくるつもりは更々ないようだ。
なんて油断したのがいけなかった。
「く……っ」
怪物の爪が頬をかすめた。命懸けの戦いの最中によそ見をするなど普段なら決してしなかった。だがやはり異世界に飛ばされ異形の生物と戦っているということが、知らず知らずのうちに負担になっていたのかもしれない。
血は首を伝い、地面へとしたたり落ちる。
――瞬間、空気が凍った。
全身の毛穴から汗が噴き出る。すぐさまここから逃げろと本能が叫ぶ。拓人はこの感覚を知っていた。初めて出逢ったときに感じた黒々とした狂気。目が見えない分、その異様さを肌で感じ取ったのか、怪物たちの動きが止まる。
「ねえ、僕のものに傷つけないでくれるかな」
ぞっとするほど甘美な囁き。いつの間にか拓人の前に降り立ち、怪物の首に手鉤を突き立て引き裂く。それから地面へ落ちた頭をなんのためらいもなく足で踏みつけた。怪物であったものは、目を覆いたくなる惨状になっている。テレビならモザイク必須だ。
「他にもこうなりたい子いる?」
圧倒的なまでの暴力。一瞬にして形勢逆転。いくら数を揃えようとも本当の狂気にはかないやしない。恐怖に敗北を悟った怪物たちは我先にと逃げ出していった。
「お前、それはやりすぎじゃねえの」
瑠花は目を輝かせて「さすが、私のシキミ様。シビれますわ」とうっとりとシキミを見つめているが、いくら怪物とはいえ敵ながら同情してしまう。
「だって拓人が死んじゃったら僕を殺せなくなるじゃない」
そう言って、紫の返り血を浴びながらにこやかに微笑んだシキミは、相変わらず天使のように、いやそれ以上に美しく、なのに襲ってきた怪物よりもはるかに恐ろしく思えた。