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04 食事 「お伽の国のレストラン」

 この世界のどこかにあるといわれる小さなレストラン。ある者は街中で見たと言い、またある者は森の中から入ったと言う。他にも山の中、海の中、果ては宇宙の彼方なんて言う人も。その証言は訪れた人の数だけあり、正確な場所は誰にも分からない。常人が訪れることの出来ないそのレストランは、夢の国の住人達の憩いの場となっていた。

 カランカランという涼やかな鐘の音とともに扉が開く。

「こんばんはぁ」

 舌足らずな口調とともに姿を見せたのは、白のミニドレスをまとった美しい一人の少女だった。

「いらっしゃいませ。カウンターでよろしいですか」

 グラスを磨いていたマスターが声をかける。

「うん、いいよ。いつも言ってるけど、猫ちゃん固いよぅ。もう何回も来てるんだから、いい加減もっと仲良くなろうよぉ」

 相変わらずこのマスターは奇怪だと少女は思う。猫の被り物をした店主なんて他のお店で見たこともない。しかもかなりリアルな造りになっていて、その毛並や目の輝きなど本物の猫かと見紛うほどであった。だが、静かにジャズが流れるこのお店に不思議と馴染んでいて、初めて来たときもマスターとの会話を楽しむうちに、すぐに気にならなくなっていった。今では猫ちゃんなどという、おおよそレストランバーには相応しくない名前で呼んでしまっていた。

 近すぎず、離れすぎず、絶妙な距離を保ってくれるマスターだからこそ、少女たちのような住人が気軽に訪れるのかもしれない。

「今宵はお一人ですか」

 ほのかにアロマが香るおしぼりを差し出しつつマスターが尋ねる。

「んーん、あとで白雪ちゃんが来るから、先に飲み物だけもらおうかなぁ」
「はい、いつものでよろしいでしょうか」
「ノンアルコールっていうのがびみょーだけど、それでお願いしまぁす」

 お酒が飲めないわけではないけれど、自分の名が模されている以上、最初に頼むものはいつも同じだった。

「ありがとうございます。お食事はお二人そろってからということで?」
「そうだね、白雪ちゃんってばあたしが先に食べてると怒るんだもん」
「かしこまりました」

 猫のマスターはメジャーカップで量ったカラフルな液体を、氷と共に入れると、慣れた手つきでシェイカーを振り始めた。いつ見ても美しいその手さばきに少女はうっとりと目を細める。自分のために男が働く姿はなんと恍惚を感じさせることだろう。

「お待たせいたしました、シンデレラです」

 コースターの上に置かれた逆三角のグラスの縁には、カットされたオレンジが添えられ、瑞々しい雰囲気を醸し出していた。子どもでも飲める、自分と同じ名前のカクテル。

「ふわぁ、おいしいねぇ」

 数種類のフルーツジュースを混ぜただけなのに、マスターの手にかかると、どうしてこんなにもおいしく、それこそシンデレラという名が相応しくなるのか不思議で仕方なかった。

「お気に召していただけたようで何よりです」

 猫のかぶり物で表情が見えないはずなのに、マスターが満足そうに微笑んでいるのが分かった。

「最近はいかがお過ごしですか」
「すっごく楽しいよ。王子様も優しくしてくれるし、幸せーって感じかなぁ」

 この舌足らずなシンデレラは、小さい頃に愛する母を亡くし、つい最近まで父親の再婚相手である継母とその連れ子である姉たちに虐められていた。当然お城で開かれる舞踏会に参加させてもらえるはずもなく、一人涙に明け暮れていた。ところが不思議な力に助けられ、午前零時に帰るという約束のもと舞踏会に参加できるようになった。初めて会ったその日に一晩を共にしないという清らかな少女性と、帰り際に自分の持ち物を落としたことによって、継母たちを含む数々の女性を押しのけ、見事王子を射止めたのだった。

「それはそれは、ガラスの靴を落とした甲斐がありましたね」
「あれあれ、猫ちゃんも疑ってるんですかぁ? 白雪ちゃんにも言われるけど、あれは本当に偶然でわざとじゃないんですよぉ」

 想定外の出来事だった。何しろ本当は、ガラスの靴なんていう足のサイズによって持ち主が選ばれてしまう不安定なものではなく、確実に自分だと分かってもらえるよう母の形見でもある、名前が刻まれたロケットを落とそうとしていたのだから。

「そうですか、それは失礼いたしました」
「あー、その感じは信じてないなぁ。あたし怒っちゃうぞぉ」

 シンデレラはぷくりと頬をふくらませる。その少し幼い仕草も、より一層彼女の愛らしさを引き立てていた。

「とはいえシンデレラさんはとても素敵な女性ですから、王子様が恋に落ちるのも当たり前だったんでしょうね」
「あたしが可愛いことなんて、そんなの初めから知ってるよぉ。そのために色々とがんばってきたんだからぁ」

 シンデレラは色々と画策し続けてきた日々を思い出す。継母たちにただ虐められるだけでなく、どうすれば出し抜けるのかを常に考え、たまに外へ買い出しに行かされるときは絶好のチャンスとばかりに、持ち前の愛嬌とテクニックで男たちを魅了した。だが、街で来る日も来る日も労働に明け暮れる男たちに興味はなく、すべてはいつか出会う、よりよい男をつかまえるための練習にすぎなかった。

「あたしはあたしを一番可愛くいさせてくれる人を探してただけ。それなのに白雪ちゃんたら、いつもあたしのこと腹黒って言うんだよぉ。ひどいよねぇ」

 本当に性格が悪いのはどっちよ、とシンデレラは呟く。自分だって母親にわざと殺されかけて、王子を捕まえたくせにね。

「そうですか、ところで白雪姫さんはもう間もなく見える頃でしょうか」

 マスターがそう尋ねたとき、入口の扉が勢いよく開かれた。