05 船 「死の象徴」
どこまでも続く、青く広い海の上に一隻の船が浮かんでいた。髑髏を掲げた帆が気持ちよさそうに風を切っている。
「なあ、アルヴィー」
デッキブラシとバケツを手に甲板掃除をしていると、ヘルJ船長が声をかけてきた。
「最近、この形にも飽きてきちまったんだけど」
そう言ってひらひらさせている船長の手に、私は目をやった。本来なら右手があるはずのその場所には指も掌もなく、はてなマークのような鉤針がついていた。
「そんなの知らないわよ。箒でも鋏でも好きに変えたらいいじゃない」
「おい、いくら何でも箒はないだろ。どこに片手が箒になった海賊がいるっつうんだよ」
そんなことを言ってしまえば、そもそも手が金属な海賊自体そうそういないと思う。しかも、付け替え可能だなんて、ふざけるにしても程があるだろう。
「あら、そんな変な形してるより、箒の方が船の掃除もしやすくなって便利じゃない」
「そういう問題じゃねえし。俺は、俺様がより強く、より格好よく見えるやつに変えてえんだよ」
文句を言いながら、駄々っ子のように口をとがらせている。まったくこの男ときたら。はいはい、と適当に流しつつ、私はためいきを一つついた。
家を飛び出して海に出た私を拾ってくれたのが、このジョリー・ロジャー号の船長でもあるヘルJだった。変わった右手と、狙った船を跡形もなく沈めてしまうことから、その悪名を世界へと轟かせていたが、内に入ってしまえばなんてことはなかった。それどころか多少我儘で子どもっぽいところはあるものの、身内にはとことん優しい理想の船長像そのものだった。
「しかし、お前も成長したよなあ。この船に来たばかりの頃なんか、本当酷かったぜ」
「そうですね。確かに海に突き落とされていたとしても、文句は言えないでしょうね」
ヘルJと船医のアラブに言われて、私は一年ほど前のことを思い出す。最初の一週間は生まれて初めて乗った船に酔い続け起きていることすらままならず、アラブに世話になりっぱなしだった。ようやくまともに動けるようになってからも、料理や掃除どころか、着替えひとつ自分でしたことがなかった私は、役立たず以外の何物でもなかった。そんな私を疎ましく思うどころか、彼ら船員たちは優しく受け入れてくれた。たとえ巷では残虐非道といわれていようとも、私にとっては唯一の家族だった。
「もう、そんな昔のこと忘れてよ。今じゃそこいらの男には負けないくらいにまでなったでしょう」
「そうですね。よく頑張りましたね」
今でもアラブは、女性船員が少ないこともあり、何かと気遣ってくれていた。
「そういえばさあ、アルヴィーは何で家を出たんだっけ」
ふいの船長の問いかけに私は言葉を詰まらせた。誰にも話していない、私の秘密。長い間一緒にいるのだから、いい加減打ち明けてしまっていいかもしれないと思っていたのだが、そのきっかけを掴めずにここまでずるずるやってきてしまっていた。だが、もうさすがに追いかけてくることもないだろうから、今がその時なのかもしれない。
「私が海に出たのは……」
意を決して話そうとしたその瞬間。凄まじい衝撃とともに船が揺れた。何が起きたのか分からず、慌てて近くの手すりにつかまって辺りを確認すると、右舷後方で水柱があがっているのが見えた。
「おい、何が起こった!」
船長であるヘルJの怒鳴り声にすぐさま船員たちは各々の持ち場へと着く。
「緊急報告! 六時の方向に三隻の船を発見! 砲撃です!」
後方を振り向けば、更なる砲弾を撃ち込もうと、こちらへ狙いを定める帆船の姿があった。
「砲撃だあ? この船が俺様ヘルJが率いる、ジョリー・ロジャー号と知ってて攻撃してくるとは、いい度胸じゃねえか。いったいどこのどいつだ!」
「帆は……十字です! 十字の旗が立っています!」
すぐに私は近くの船員から望遠鏡をひったくり、中を覗きこんだ。そこに見覚えのある紋章を見つけたとき、すべてを悟ってしまった。
帆に十字を掲げられる船はただ一つしかない。
「王家の船、だと……!」
ざわつく船員たちだったが、呆然とする私をよそに、「ひゃっはー、王家が何だ、俺たちには関係ねえ!」「俺たちジョリー・ロジャー号の恐ろしさを思い知らせてやるぞ」「すべて残らず奪い取れ!」思い思いに叫ぶと、一気に船を加速させていった。
「どう、して……今頃……」
血の気が引いていくのを感じた。この一年間何もなかったのは、諦めたからじゃあなかったのか。真っ白になった頭ではもう何も考えることが出来なかった。
「アルヴィー、お前いったいどうしちまったんだ。王家の船くらい、すぐに沈めてやるからそんな心配すんじゃねえよ」
「ちがう、の」
私にとっては髑髏なんかより、十字印こそが死の象徴だった。こんなことならもっと早く打ち明けてしまえばよかった。
「あの船は」
風を受けた帆はぐんぐんとスピードを上げ、王船へと近づいていく。徐々にその巨大さを現していく帆船の、船首に立つ人影。それは。
「ようやく見つけたぞ、愛しき我が娘、アルヴィダよ!」
私の父であり、我が国の王でもある、シヴァールの姿だった。