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06 暗号 「ルージュの伝言」

●あらすじ
 暗号の解読、作成を専門とする南足事務所で助手を務める主人公・宮前。所長の南足は少し変わっているため、彼に苦労させられることは多かったが、なんだかんだ言いながらうまく過ごしていた。
 そんなある日、亡き父が残した遺言を解いてほしいと、山奥にある桐生院家の屋敷へと招待される。既に自立し家を出た四人の兄弟たちもその日だけは帰ってくるという。

 日帰りの予定だったが、季節外れの台風により帰宅が困難になったため、急遽一泊することになる宮前と南足。そしてその晩、桐生院家の長女、麗香がバスルームで殺されているのが発見される。鏡にはルージュ(紅)でメッセージが残されていた。

 台風の影響ですぐには来られない警察。閉じ込められた屋敷の中で不安が渦巻くなか、第二、第三の事件が起きる。そしてそのすべてにルージュの暗号が残されていた。

 南足の推理によって暗号が解き明かされ、すべては母を殺された春子が復讐のために仕組んだことであったことが判明する。
 亡き父が残した遺言とは春子の母である女性との関係を懺悔した日記で、またその財産をすべて春子に残すというものであった。

●本編
 食事を終えた俺たちは、依頼人でもあり、この屋敷の執事でもある為一さんが用意してくれた部屋に戻り、ゆったりとした時間を過ごしていた。

「それにしても素晴らしい料理の数々でしたね」

 ぱんぱんに膨れたお腹をさすりながら、俺は先生に話しかける。

「こんな天気ですし、いきなり泊まる羽目になった時はどうしようかと思いましたが、さすが桐生院家。これなら何も心配することはなさそうですね」

 こんなに美味しい食事にありつけるなら、今日だけとはいわずしばらく厄介になろうか、なんて思ってしまう俺に対し

「何を言っているのだ!」

 先生はびしっと指を立てながら、鼻息荒く続ける。

「今日は『ぷりずむ★うぃっちーず』の第二十五話放送日だったのだぞ。宮前くん、きみは前回のラストで敵に捕らわれたキイロがどうなったのか気にならないのかね!」

 そうか、やけに先生が早く帰りたがっていると思ったら原因はこれだったのか。

「あー、そうでしたねー気になりますねー」
「何だその適当な返事は! さては宮前くん、その顔は僕を馬鹿にしているな! 何度も説明したが『ぷりずむ★うぃっちーず』、通称『ぷり★うぃず』は今世紀稀にみる素晴らしいアニメでな、何よりも――」

 小学生である主人公たち五人がいかに魅力的で、いかに強く、いかに健気であるかだの、敵の奴らも卑劣ではあるが、それは過去の暗い経験があるからだの、先生は延々と語り続けていた。こうして幼児向けアニメについて熱く語る姿を見る度に、毎度のことではあるが、俺は師事する相手を間違えた気分になる。先生の持つ深い知識と知恵、そしてそれらを瞬時に繋ぎ合せて解いてきた謎の数々から、この世界では知らない人はいないほど凄い人だというのに、依頼者があまり来ないのはやはりこの強烈すぎる性格故だろうか。

 『ぷり★うぃず』からどう話が転がったのか、いつの間にか世界のエネルギー問題へと変わっている話を聞き流しつつ、他の事務所へ移ることを本気で思案していた、その時だった。

 屋敷を襲う雷雨に紛れて微かに別の音が聞こえてきた。

「先生、いま何か聞こえませんでしたか?」
「しっ」

 先程まで気持ち悪いくらいに緩んでいた頬は一瞬で影をひそめ、真剣な表情そのもので先生は耳を澄ます。すると今度ははっきりと甲高い声が耳に届いた。この声は――。

「行くぞっ」
「あ、先生、待ってください!」

 部屋から飛び出し、すぐさま悲鳴が聞こえた方向へと走っていく先生を必死に追いかける。ロリコンアニメ好きの変態ではあるが、こういうところを見るとやはり先生についてきてよかったと思ってしまう俺は単純なのだろうか。

「どうしました!」

 辿り着いた部屋の前で春子が座り込んでいた。

「お、お、お姉様が……」

 震えながら彼女が指差す先、バスルームの中を覗き込んだ俺たちはすぐさま何が起こったかを理解した。

 紅、紅、紅。目に飛び込んできたのは辺り一面に飛び散った紅だった。そしてその持ち主である、長女、麗香が無残な姿で横たわっていた。脈を確かめるまでもなく、壁や床に飛び散っているおびただしい血の量から、既に絶命していることは明らかだった。

「おい、今の悲鳴はなんだ……」
「麗香……!」

 悲鳴を聞いた人々が次々に駈けつけてくる。あれほどいがみ合っていた国道さんと満留さんも、長女である姉の変わり果てた姿に言葉を失っているようだった。

「中に入らないでくれたまえ」

 咄嗟に中に入ろうとする兄妹を先生が制する。

「見て分かるだろうが、これは殺人事件だ。すぐに警察に通報を」

 あまりの光景に呆然としていた国道さんだったが、職業柄血液には慣れているせいか、すぐに正気に戻り電話をかけに走っていった。

「満留さんは春子さんをお願いします。状況を確認次第、全員に話を聞かせてもらいますので、食堂でお待ちいただけますか」
「え、ええ……そうね」

 顔を白く染めたままの春子さんと支え合うようにして、満留さんは食堂へと向かって行った。

「なんだかんだ言ってもやっぱり兄妹なんですね」
「それはどうかな。この場に来ていない人もいるようだしね」

 そう言われて気が付いたが、次男の正真さんの姿が見えない。

「まあ、それは後から考えるとして、ひとまずは現状把握から始めようか」

 改めて麗香さんの遺体を観察してみると、頸動脈を切られたことによる出血多量が死因のようだった。

「ひどいことをするもんだね。これじゃあ彼女の美しい肢体が台無しじゃないか」
「先生、あれは……」

 紅に混ざって気付かなかったが、備え付けの鏡に、明らかに人の手で残されたと思われる文字が残っていた。

『B6 GGA GGA』

「暗号、か。いいね、いいね。やっぱり謎はこうでないと」

 麗香さんが死ぬ間際に残したのか、もしくは犯人からのメッセージなのか、残された文字が何を伝えたいのか俺にはさっぱり分からなかったが、先生の好奇心をくすぐるには十分だったようだ。嬉々として暗号について考え始めた先生をよそに、俺は静かに溜息をついた。

 俺たちが桐生院家に招待されるそれよりも遥か以前から、すべての計画は始まっていたのだと気付いたのは何もかもが終わった時だった。

 ただ、激しくなっていく雨と風だけが俺たちの行く末を知っていた。