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07 怖い 「ねえ、だーりん」

 午前七時三十六分。チョコレートケーキみたいな、二十九階建てのマンションの二十二階。左から三番目の、クリーム色した扉からだーりんが出てくる。あたしはいつもと同じように、少し離れた電柱の陰からだーりんを見つめる。ちょっと前に、怖い顔した人たちに怒られちゃったから、今度は見つからないようにしなくちゃ。

 だーりんは今日もお洒落だ。ゆるくパーマのかかった髪型に、綺麗に整えられた髭がグレンチェックのスーツとよく似合っていて、まるで外国映画に出てくる人みたい。あたしは一度だってだーりんが同じ服装をしているところを見たことがない。昨日は無地の紺ジャケットに鮮やかな黄色のネクタイを合わせていたし、その前はピンクの麻シャツを爽やかに着こなしていた。カジュアルな恰好も勿論素敵だけれど、やっぱりスーツ姿が一番だ。デキる男って感じでたまらなくセクシーだ。

 だーりんのあまりのかっこよさに思わず叫びだしたくなってしまうのをこらえて、あたしは首から下げているカメラでシャッターを切る。どんなだーりんも見逃さないように、新しく買ったカメラは、一秒間に三十枚も撮れちゃうスグレモノだ。これでまたしばらくは水だけの生活になっちゃうけれど、愛のためだもん。仕方ないよね。

 だーりんの家から大手町にある会社まで二十九分。乗換は一回。同じ部署の誰よりも早く、始業開始の二時間前には到着する。途中のカフェで買ったブラックコーヒーを飲みながら、静かに過ぎていくこの時間を密かに気に入っていることは、あたししか知らない。

 隣のビルから、カメラ越しにパソコンに向かうだーりんの横顔を見つめながら、あたしは想像する。その瞳があたしだけを映すところを。低くかすれた声があたしの名前を呼ぶところを。軽やかにキーボードを叩く、細長い指があたしの体に触れるところを。

 だーりんがあたしの中へ入ってくるところを。きっとその瞬間、あたしは世界中の誰よりも幸せになれる、はずなのに。

 
 どうしてみんな邪魔をするのかな。
 

 ねえ、だーりん。どうしてあたしの名前を呼んでくれないの? どうしてそんな怖い顔であたしのこと見るの? おうちに入ったのがまずかったの? だって勝手に鍵変えちゃうんだもん。ひどいよ、あたしがだーりんのこと好きなの知ってるくせに。

 ねえ、だーりん。いったいどこに電話しようとしてるの? さっき電話線切っちゃったから、どこにもつながらないよ? だって、だーりんにはあたしだけいれば十分でしょう? あんな女なんかと一緒にいたのは、あたしに妬いてほしかったからなんでしょう? あたしの愛が本物かどうか確かめたかったんでしょう? かわいいだーりん。そんなことしなくても、あたしが愛してるのはだーりんだけなのに。

 ねえ、だーりん。どうして包丁なんて持ってるの? そんな怖いものしまって、早くあたしのことぎゅってしてよ。

 ねえ、だーりん。どうして返事してくれないの? どうしてこっち見てくれないの? どうしてあたしの名前を呼んでくれないの? ねえ、どうして、動かなくなっちゃったの? どうしてそんなに紅くなってるの?

 ねえ、どうして?

 ねえ、だーりん。